「あなた、常識ないですね」と誰かに言われたとして、あなたは嬉しい?俺は、嬉しい。

どうも!トランペット、サックスを使ったファンキーな音、新しい時代を自分らしく楽しく生きるための歌詞、ファンキー癒し音楽のルーク野村です。

常識ある人という言葉は、一般的にいい人のように聞こえる。

常識ある大人、なんて言葉があるくらいだから、常識あるひとは成熟したひと、という考え方が成り立つのだろう。

でも、常識に縛られたひと、常識という思い込みにとらわれた残念なひと、という解釈も成り立つ。

俺の経験からも、常識ある人は多くの人に受け入れられ、人望が厚いように思える。ただ、表面的に迎合している場合や、周囲に合わせて常識ある人を支持する場合もある。

じゃあ、そもそも常識って何だっけ?常識あったほうがいいの?ということを考えてみよう。

■ 常識ってなんだっけ

goo辞書で「常識」という言葉の意味を調べたら、以下だった。

一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。

「―がない人」

「―で考えればわかる」

「―に欠けた振る舞い」

「―外れ」

会社組織や業種業態によって常識は異なるので、「一般の社会人」が共通に持つ常識を客観的に定義するのは難しい。

「もつべき」と決定する主体は、曖昧。

「普通の」とあるけど、普通の基準は事前定義され、社会で認知されているか怪しい。それぞれの人が自己流で普通を定義しているのが実態だろう。

こんなふうに、一般的に共有されている常識という言葉の意味・定義は、実にいい加減だ。

■ 常識の定義

常識という言葉の定義として、わかりやすくふさわしいのは、アインシュタインが言う以下の定義だ。

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである

つまり、常識とは、個人的な偏ったものの見方・考え方。

で、同じ偏見のコレクションを持つ人同士が、常識があるとお互いに認め合うという構図。

いままでに、「そんなの常識でしょ!」と会話の相手に自分が身に付けた常識を押し付ける人に、数多く遭ってきた。

■ そんなの常識!という発言の誤謬

こういう人は、自分の偏ったものの見方や考え方を人に押し付けている。

で、押し付けている本人が、常識とは個人的偏見と気づいていない。社会全体で共有している守るべきルールと思い込んでいる。

さらに、常識ある自分が正義と思い込んでいるから、調子悪い。

自分の個人的偏見=自己流正義の常識を、話す相手が受け入れなければ、相手は悪なので、徹底的に糾弾して、個人的偏見を押し付ける。

「そんなの常識でしょ!」

「常識で考えたらありえない」

こんなことを言われたら、あぁ、この人は自分の個人的偏見に囚われて視野が狭くなっているんだな、と理解して聞き流そう。

■ まとめ

常識の一般的な定義は実に曖昧でいい加減であること、常識とは個人的偏見のコレクションであること、個人的偏見である常識を押し付ける人は視野が狭くなっていること、を説明した。

常識という身勝手な偏見を相手に押し付けないように気をつけなきゃね。最後まで読んでくれて、ありがとう!

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