意志あるところに道は開ける – Where there is a will, there is a way – という言葉を勘違いして、嫌っていました。

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そんでもって「ファンキー癒し音楽」のルーク野村です。

意志あるところに道は開ける。

前向きになれる名言、と言われています。でも、意志あれば必ず道が開けるなら、人生は楽だと思いませんか?

強い意思があっても、どうにもならない時はあります。思いが叶わず、悔しい思いをした経験は誰にでもあるでしょう。

そんな悔しい思いを経験したときに「意志あるところに道は開ける」と言われても説得力がないと感じます。道が開けなかったとは、意志が弱かったからと総括されても、困ってしまいますよね。

だから、私は意志あるところに道は開けるという言葉は、嫌いだったし、論理的に破綻していると思っていました。

でも、あるとき解釈を考えなおしたら、間違った思い込みに気づきました。

思い込みを手放したら、なるほど、意志あるところに道は開けるんだ!と理解できました。

この記事では、意志あるところに道は開けるをという言葉を、私が思い込みに基づいて勘違いしていた件について、説明していきます。

■ 語源と一般的な解釈

意志あるところに道は開けるは、”Where there is a will, there is a way”というアメリカのリンカーン大統領の言葉の和訳です。

どんなに困難な状況であってもやり遂げる意志があれば、必ず道は開ける、とう解釈が一般的です。

前向きな言葉、希望が湧く言葉、というように解釈される場合が多いようです。

意志あるところに道が開ける。
前向きで、希望が湧く。

私は、この言葉が嫌いでした。

■ 意志があってもどうにもならない場合

なぜかというと、この言葉が理論的に破綻していると理解していたから。なぜなら、意思だけではどうにもならない場合は、あるからです。

当時の私の理解を図で描くと、こうなります。

「意志があるところに必ず道が開ける」が真理であれば、意志が強ければ必ずことを成し遂げることができる、ということになります。

意志があるひとには例外なく道が開けるとは、
道が開けないひとは意志薄弱者という意味

じゃあ、一握りの勝者だけが意志ある人で、それ以外は意志薄弱者なのか、と疑問が湧きます。

◼️ 敗者は例外なく意志薄弱

例を挙げると、高校野球の甲子園で優勝したチームだけが意志あるひとたちで、それ以外の球児たちは、全員例外なく意志薄弱ということになります。

同様に、サッカーのワールドカップで優勝したチームのメンバ以外のプロサッカー選手は、全員意志薄弱です。Jリーガーであっても、ワールドカップに出場の夢がかなわなかったサッカー選手は、全員意志薄弱者でだらしない、となります。

一握りの勝者=
意志があるひと=
道が開けたひと

こんな雑な整理が、成り立つ訳がないです。強い意志をもって練習や鍛錬に励んだ人たちの心を踏みにじる、実に失礼な考え方です。

なので、正確には「道が開けた人には、意志があった」という表現が正しいと私は考えました。図示すると、以下のようになります。

道がひらけたひとは、意志あるひと。
意志あるひとでも、道がひらけないことは、ある。

■ 道が開けるの解釈

ただ、あるとき「道が開ける」の解釈をよくよく考える機会がありました。

具体的には、私が考える「道が開ける」とは、世間が認める功績を成し遂げた場合に限定しているのではないか?と疑問を持ったのです。

別に、他人や世間に賞賛されるような「道が開け」なくても、やっている本人がやり切った!達成した!と思えれば、道は開けた、と解釈したらどうでしょう。

なぜなら、他人や世間が賞賛する内容は、時代の価値観によって変わりますから。

死後に功績が認められる人もいます。ある特定の時期に他人や世間に賞賛された人が、後の時代に否定されることもあります。

そう考えると、意志を持って物事に取り組み、取り組んだ本人がやり切った、達成した、と思えれば、道が開けたと解釈するのが正しいのではないでしょうか。

世間が認める道がひらける必要はない

むしろ、他人や世間が賞賛することを成し遂げることに固執していた、自分の了見の狭い思い込みに気づきました。

「意志があるところに道が開ける」の解釈を変えれば、真理であることに気づきました。

■ 他人や世間は関係ない

つまり、意思あるところに道が開けるのです。

他人の評価に関係なく、強い意志を持ってことを成し遂げたひとは、みな、道が開けたということです。開かれる道が他人に賞賛される道であるべき、と私が勘違いしていたのです。

自分が成し遂げた!と、いちいち
世間に認めてもらう必要はない。

私が、他人に認められたい思いが強かったから、勘違いしたのです。恥ずかしい限りです。

自分の道は自分の意思で開かれます。他人に認められるかは、関係ないのです。

だから、「意志あるところに道は開ける」は、理論的に正しいといえます。

■ まとめ

意志あるところに道は開ける、という言葉は理論的に間違っていて、一握りの成功者以外を意志薄弱者とみなす、という理論破綻した意味と私が勘違いしていました。

勘違いの思い込みを手放してからは、意志あるところに道は開けると腹落ちしたので、実に楽になりました。

他人や世間からの評価を気にせず、自分の思うところに、強く意志を持って突き進んでいく。

こんな感じで、人生を楽しんでみましょう。

他人の評価を気にせず、自分らしく生きられるといいですね。最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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