努力は報われない、と思うのが正しい姿勢。正確にいうと、報われてほしいと思うような努力は、しないほうがいい。

トランペット、サックスを使ったファンキーな音、新しい時代を自分らしく楽しく生きるための歌詞、ファンキー癒し音楽のルーク野村です。

今回は、努力という言葉の意味や、努力に勝る天才なし、という言葉の虚構について書いてみようと思う。

親や先生、身の回りの年長者に、努力しなさい、と言われると、努力しなきゃって思っちゃう。努力すれば褒美がもらえる、と思うと、思わず努力しちゃう。

でも、言われたからする努力とか、褒賞欲しさの努力って、自発的じゃないから、つらいよね。 努力って、しなきゃいけないのかな。

ましてや、努力すれば、必ず報われる、みたいなことが言われているけど、報われない努力なんて、いくらでもある。さらには、努力が報われないのは、努力が足りないからだ!なんて言われることもあるけど、理論的な背景がない、精神論だよね。

努力が報われると主張するなら、努力の量と報償が比例することの具体的な証拠を持ってこい!と、俺は言いたいね。

そんな証拠は、ないから。

こんなことを考えていた時に、俺は、努力を工夫と読み替えるように心がけていた。

工夫と読み替えることができない努力は、どこかに無理がある。強制されたり、報償をエサにされたり。場合によっては、虚栄心や自己顕示欲を満たすため、という場合もある。

工夫と読み替えることが出来る努力は、そのとおり、工夫だ。自発的にアイデアを出して、自分の意思で進めていく。

工夫と読み替えることが出来る努力は、正しい言葉である工夫と呼ぼう。そして、努力をやめよう。そうすれば、工夫とはいえない努力はしなくて済む。

そして、努力に勝る天才なし、という言葉の虚構に気づく。

ということで、努力が報われるか、努力って何?といったことについて、説明したいと思う。

■ 努力=苦労して報われるという前提

努力という言葉の意味を調べると、以下のような言葉が出てくる

  • 心身を労してつとめること。
  • 骨を折って事の実行につとめること。
  • つとめはげむこと。

どうだろう。あなたが持つ「努力」という言葉の定義に、近いかな。努力って、心身を労する、骨を折る、などの苦痛を伴うことが前提となっている。

そして、多くのひとが、努力することを美徳とし、周囲に推奨する。努力したら褒美があるぞ、とそそのかす。

見方を変えると、苦痛を伴う営みを美徳とし、推奨する。それに褒美をあげる。

苦痛は、嫌だよね。俺は、嫌だな。

でも、いままでの時代では、苦痛を伴う営みである努力を、明示的・暗示的に強制してきたしゃかい、といえる。

努力して成功するストーリーに、多くのひとが共感する社会。言い換えると、苦痛を伴う営みである努力を経ないで成功すると、共感されず、反感を買う社会。

■ 工夫しよう

一方で、工夫という言葉の意味は、どんな感じだろう。調べてみると、以下のような意味とある。

  • よい方法をみつけようとして、考えをめぐらすこと。
  • よく考え研究すること
  • 同義語)頭を使う、知恵を絞る

どうだろう。あなたの持つ、工夫の語感に近いかな。ここで俺が言いたいことは、工夫には苦痛がないこと。

努力をする時でも、よい方法をみつけようと考えるだろう。よく考えて研究もするだろう。でも、苦痛を伴わないと、努力じゃあないんだよね。

俺の理解をいうと、苦痛を伴わずに、考え、研究し、行動することを、工夫と呼ぶ。

であれば、俺は、努力せずに工夫しようよ、と言いたいんだよね。努力より工夫のほうが、いいじゃん。苦痛ないし。

■ 努力=苦痛を要求する社会的圧力

努力と工夫の言葉の定義と、努力という苦痛を 社会が 要求するという背景を理解しよう。

すると、努力は、実に無駄が多いことに気づく。

努力でなく、工夫をするように心がけて、実際に工夫をすれば、苦痛はない。でも、社会がそれを許さない。工夫するひとを、努力という苦痛なしに生きるダメ人間として糾弾する。

あいつは苦労を知らない、とか、努力して苦労してこそ一人前、とか。俺に言わせりゃ、無駄だよね。イチイチ苦労を背負い込む必要は、ないよ。

常に工夫といえるような営みを続けていれば、工夫が報われるか?なんて気にする必要がない。自発的に工夫を重ねているだけだからね。

努力という苦痛を前提とした営みをするから、努力は報われるか?なんてことが、気になっちゃう。苦痛を伴うことをすりゃあ、報われるかどうか気になっちゃうよね。

だから、努力を信奉するひとは、努力に勝る天才なし、なんていう詭弁を弄して自分と他人を騙す。

努力なんてする必要は、ない。

苦痛のない工夫と自分が思える営みを、続けよう。

■ まとめ

努力は、苦痛を伴う。工夫は、自発的で、苦痛を伴わない。

努力も工夫も、いろいろ考え、行動し、成果を追及する。

であれば、努力をやめて工夫をしようよ。そうすれば、考えて行動したことが報われるか、なんて、気にならなくなる。

努力に勝る天才なし、という言葉は、努力という名の苦痛を強いる社会で作られた詭弁だ。努力をするひとは、無駄が多い。

自発的な工夫を重ねることができるひと、工夫を重ねる環境を作り出して維持できるひとこそ、天才だ。

努力をやめよう。努力なんて、する必要ないから。苦しいな、苦痛だな、と思ったら、思い切って、やめる。または、苦痛のないやり方を考えて、行動に移す。

こういうほうが、生きていて楽しいよね。

これからの新しい時代には、努力というきれいな言葉に包まれた苦痛を避けるひとが増えていく。そうすると、だんだんと、努力をするひとが賞賛されるというイビツな社会が是正され、楽しみながら工夫をするひとが生きやすくなる社会に変わっていく。

こんな社会の変化を感じながら、努力をやめて、工夫をしていこうよ。

工夫しながら生きてけると、いいよね。最後まで読んでくれて、ありがとう!

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