■ 聴くひとに感動を与える歌
もう、20年くらい前だろうか、ある日、脳性マヒの人が歌う歌の話を聞いた。

そのかたの歌は、音程もリズムも正確ではないが、独特の風合いで聴く人に感動を与える、とのことだった。

 

俺は、音楽の第一の使命は聴く人に感動を与えることだと思っている。

だから、この話をきいて、音程やリズムが狂っていても感動を与えることはできる、音楽はテクニックだけではないという想いを強めた。

 

■ 予想外の反応
この話を同時に聞いた音楽仲間に、さっきの話、いい話だったよね、と話しかけた。そうそう、やっぱ感動を与えなきゃだよね、という回答を期待した俺には、予想外の回答を得た。

 

彼の回答は、ああいう話はあんまり好きじゃない。演奏はちゃんとやるべきだ、というような内容だった。

 

下手でもいいのさ!音楽は魂だ!という整理は雑だ。

幼稚園のお遊戯会の歌の発表のような音程もリズムもめちゃくちゃでは、お話にならない。

 

幼稚園のお遊戯会は、身内や親族縁者が自分の子供や孫などにあたる子供を観に行っているわけで、純粋な歌そのものを好んで聴くわけがない。

 

また、障がい者なんだから、下手な演奏でも多少は割引しましょう、同情しましょう、という発想もイカン。こういう発想は、演奏する本人に失礼だ。

こんな思いもアタマをよぎり、そっすね、みたいな返事をして、音楽仲間との会話はやめにした。

 

■ 演奏外の領域で伝わるもの
同時に、なんだか俺の思うことが伝わらないなぁ、共有できていないなぁ、という思いが残った。

 

俺は決して演奏技術を軽視しているわけではない。演奏家は技術を向上し、聴衆に感動を与える演奏技術を目指し努力することは論を待たない。

一方で、演奏技術で説明できない領域、記譜できない範疇で、聴衆に感動を与える方法や手段はがあるんじゃないのかな、という思いが俺にはある。

 

例えば、ほぼ同じ演奏レベルで、楽しそうに笑いながら演奏する場合と、つまらなそうに無表情で演奏する場合の、いずれが聴衆を感動させられるか。

答えは自明でしょ。

 

では、書かれた譜面をその道の専門家の理解や評価通りに正確に再現し演奏する場合と、譜面を素材に演奏家の解釈や想いを乗せた演奏の場合の、いずれが聴衆を感動させられるか。

時と場合によるかな。譜面通りの演奏を求める聴衆は前者を、演奏家のファンで演奏家の演奏を聴きたい聴衆であれば後者を、選択すると思う。

 

■ 記譜出来ない音がよびさます感動

今回の記事は、「音が発するメッセージを感じる」シリーズの3回目。このシリーズの名の通り、音が発するメッセージを感じる、という視点から今回の記事をまとめよう。

 

「音が発するメッセージを感じる」の記事はこちら。

音が発するメッセージを感じる

 

演奏には、記譜可能、演奏技術で説明可能、言語化可能な領域があり、これら領域で聴くひとを感動させることはできる。

 

同時に、冒頭に紹介した脳性マヒの演奏家の話しから俺が感じたことは、演奏には、記譜出来ない、技術では説明できない、言語化出来ない領域もあり、こちらの領域で音が発するメッセージにも、聴くひとは感動を覚えることがあるということ。

 

演奏技術と同時に、音が発するメッセージに敏感でありたい。

 

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