絆(kizuna)って、きれいな言葉だよね。でも、時としてきれいな言葉のイメージと異なり、暴力装置となりうる。

どうも!トランペット、サックスなど派手な音を使ったを使った「ファンキー」な音楽。新しい時代を自分らしく楽しく生きるための「癒し」の歌詞。

そんでもって「ファンキー癒し音楽」のルーク野村です。

絆(きずな)という言葉を知っているよね。絆という言葉は、いい言葉、きれいな言葉。

たとえば、東日本大震災のときに、東北を助けよう!という取組で、絆という言葉が使われた。

お互いに繋がっています、助け合いましょう、あなたはひとりではありません!のような絆という言葉に伴って発せられるメッセージは、人間っていいなぁという明るく前向きな響きがある。

ただ、この絆というものは、言葉の持つイメージと異なり、時として暴力装置になることに気づいた。そして、この暴力装置は、装置を使っている当事者に暴力の自覚がないのが調子悪い。

ということで、絆という名の暴力装置について、書いてみよう。

■ 絆で結ばれている人たちの行動

絆といえば、たとえば、家族の絆。これは、多くの人が、すばらしい絆、と感じていることなのかもね。

家族は大切。お互いに助け合う。裏切らない。多くの思い出を共有し明るく楽しく生きる。

ひとつも悪いところがないよね。表面的には。

 

同時に考えたいことは、絆で結ばれた人たちと、結ばれていない人たちとの関係。

絆で結ばれている人たちには、お互いに結ばれているという自覚のもと、仲間意識が芽生える。仲間意識が芽生えるまではいいのだが、仲間意識とはやっかいなもので、時として仲間以外の人たちを排除しようという意識が働くようになる。

たとえば、仲間の間での共通の認識と異なる意見・行動をとるひとを見つけると、「この人、常識ない」と決めつける。絆で結ばれている仲間は共通認識をもっているので「そうそう、常識ない!」と加勢し、決めつけが激しくなる。

「常識ない」の加勢が激しくなると、「常識ない」と決めつけられた人は、絆で結ばれた人たちから、誹謗中傷しされ、排除されることになる。

 

こう考えると、絆で結ばれた人たちは、無意識のうちに絆で結ばれていない人たちを誹謗中傷し、排除するようになる、といえる。

 

 

■ 絆という暴力装置

絆さえなければ集団を形成しなかったのに、絆があったばかりに集団を形成し、集団外の人を誹謗中傷し、排除して平気でいられるようになる。

つまり、絆は、絆で結ばれている集団に所属する人たちが、集団外の人を誹謗中傷し、排除するようにする暴力装置になりうる場合があるということ。

 

例えば、先に例としてあげた、家族の絆。

家族が助け合うための仕組み・装置である限りは、特に問題は発生しない。

ただし、家族の常識に合わない人を発見したときに、こんな会話をしていたら、要注意。

  • 「あの人、常識ないよね」
  • 「そうそう、ウチでは、あんなことする人いないし」
  • 「だよねー、非常識だよね!」

家族の中のメンバの相互の絆を使って、家族だけで通用するルールに外れた人は、非常識で信じられないことをする愚かな人というレッテルを、とっても短絡的に張ることができる装置だから。

 

 

■ まとめ

絆を全面的に否定するわけではない。人は、お互いに助け合わないと生きていけない。だから、絆は必要。

同時に、絆の使い方・効用を使い間違えると、暴力装置となりえる。

そして、暴力装置を使っている人、絆でつながっている人たちは、暴力装置と思っていない無自覚なところに、さらに危険性がある。

じゃあ、どうすりゃあいいかというと、絆でつながっている人たちが、絆につながっていない人たちに対して排他的な行動をとらないようにすればいい。

絆でつながっているひとの間で、助け合い、わかちあう。絆につながっていないひとにも、同様に、助け合い、分かち合う。

こういう行動が望ましいんじゃあないかな。最後まで、読んでくれてありがとう!

 

 

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