■ 忠犬ハチ公は美談なのかな

日本人の多くが知っている忠犬ハチ公。ハチ公の話の要旨を、Wikipediaから以下に抜粋する。

飼い主が死亡した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として知られる…(飼い主の)死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった…尋常小学校2年生の修身の教科書にも、「恩ヲ忘レルナ」というハチの物語が採用された。

忠実に飼い主を待ち続けることが、美談であり、恩を忘れないことの証として広く世間に認識されているようである。

 

でも、忠犬ハチ公の話は美談なのかな。

 

■ いうことを聞く、思い通りに動くのが忠犬!?

俺は犬が好きなので、犬はかわいいなぁと単純に思う。特段の理由もないし、理論的に好きな理由が説明できるわけでもない。

 

同時に、犬は飼い主のいうことをよく聞くからという理由で、犬は好きだ、かわいい、という意見もある。この考え方は、時として残酷な考えにつながる場合がある。

 

なぜかというと、自分のいうことを聞く、つまり、自分が自分の思い通りにコントロールできる犬が好きという考え方は、いうことを聞かない・コントロールできない犬はかわいくない、という考え方につながるリスクがあるから。

 

そうなると、いうことを聞かない犬は気にくわないので、邪険に扱ってよい、となってしまう。

 

■ 駅で待つと恩を忘れない、という思い込み

さらに言うと、忠犬ハチ公の場合は、いうことを聞く=駅で待ち続けるという行為が、恩を忘れない、という想念と結びつけられてしまっている。

 

そもそも、駅で待ち続ける行為と、恩を忘れないという想念は、関係ない。関連しない。

別に、駅で待たなくたって、家でゴロ寝していたって、恩を忘れない犬は、決して恩を忘れない。

 

駅で待っていても、恩を忘れていない保証はない。

 

単に習慣で駅まで行っていただけかもしらんし。

実は、ハチ公は飼い主にイジメられていて、次に飼い主に会ったら噛み付いてやろうと、執念深く待ち続けたのかもしれない。

 

ハチ公の真意なんて誰もわからない。

 

周囲の人間の勝手な思い込みで、いうことを聞く→駅で待ち続ける→恩を忘れない、という連想をしただけ。

 

■ いうことを聞くと、ご褒美がもらえる

忠犬ハチ公は、駅で待っていただけで、世間から賞賛された。同時に、人間は多かれ少なかれ、他人から賞賛されたいという自己承認要求を持っている。

 

そうなると、短絡的発想として、人のいうことを聞いていれば、忠実ということで賞賛されて自己承認要求が満たされる、要するにチヤホヤされるのでは、と勘違いする人がいても不思議はない。

 

つまり、忠犬ハチ公の話は、世間が忠実と見做す行為を続けるとチヤホヤされる、という思い込みを植え付けている。

 

そして、忠実と恩をくっつけることで、誰かからの恩に対して世間が認める方式で忠実に報いたことにするとチヤホヤされるぞ、という暗示をかけているマインドコントロールの話とも理解できる。

 

■ ハチ公はハチ公なりに

先にも書いたけど、ハチ公の真意は、誰もわからない。

 

本当に、心の底から飼い主の恩に報いたく、毎日渋谷駅に行って飼い主を待っていたのかもしれない。

 

であれば、ハチ公は自分の考え方に基づいて自分のやりたいことを、やりたい方式で行ったのだったら、ハチ公は満足だっただろう。

 

一方で、仮にハチ公が、飼い主が死んだ後に、家でゴロゴロしながら飼い主との楽しい思い出に浸っていても、それはそれで、ひとつの飼い主への報恩のやり方だ。別に誰かに褒められたり、けなされたりするものではない。

 

ましてや、人間に賞賛されて銅像なんか作られたって、ハチ公自身は嬉しくもなかろう。

ハチ公の周囲の人間が自分の勝手思い込みに従って盛り上がっているだけ。

 

ハチ公が渋谷駅にて毎日待ち続けた行為と、良し悪し・忠誠の有無・報恩などの人間世界の想念とを関連付ける合理的な理由は、ない。

 

ハチ公がハチ公なりに、やりたいことを勝手にやっただけ、という理解をしようよ。

俺は、やりたいことを勝手にやっていたハチ公が好きだなぁ。犬だから。理屈抜きに。

 

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