疲れた、が口癖のひとは、広義のかまってちゃん。要注意。

どうも!トランペット、サックスを使ったファンキーな音、新しい時代を自分らしく楽しく生きるための歌詞、ファンキー癒し音楽のルーク野村です。

今回は、以前に投稿した、 かまってちゃんの話の続きとして、疲れた、という口癖とかまってちゃんの関係について書いてみようと思う。

疲れた、が口癖のひとは、いる。俺の身の回りでも、あ〜疲れた、とよく言うひとがいる。実は、疲れた〜が口癖のひとって、広い意味でのかまってちゃん。疲れた〜って言って周囲の関心を引く。

こういう俺も、ちょっと面倒なことや想定外のことが起きて長時間働くと、あ〜疲れた。。と言ってしまう。口癖なんだろうね。こういう口癖を言ってしまう理由・原因を考えると、誰かに疲れたことを認めて欲しい、という承認要求があることが分かる。

つまり、疲れたこと・努力したことを認めて欲しい、という承認要求があるから、思わず、疲れたと言ってしまう。

俺自身が、こういう面倒臭いこまったちゃんの要素を抱えていると理解してからは、ひとつひとつ、こまったちゃんの要素を手放していくよう、心がけている。

ということで、疲れた〜が口癖なひとは、疲れたことを認めて貰いたい広義のかまってちゃん、ということについて、説明したいと思う。

■ 疲れた、という口癖の背景

疲れた〜、が口癖のひとは、疲れた自分を認めて貰いたい。疲れるほど頑張ったんだ!認めてくれ!と主張したいという気持ちがある。

でも、疲れるほど頑張ったことを認めて欲しい!という気持ちはどこから来るのだろう。

この点をよくよく考えると、頑張ることは素晴らしいことだ、という考え方や前提があることが分かる。

頑張ることは素晴らしいという前提が共有されている社会だから、頑張った自分を認めて欲しいという気持ちが湧いて、疲れた〜という言葉が発せられる。

疲れた〜という言葉を発することで自分の頑張りを認めてもらう体験を通じて、喜びを感じ、自己承認要求が満たされる。

喜びや自己承認要求の満足を得る体験が続くと、疲れた〜をいうことが習慣化し、口癖となる。

■ 頑張ることは素晴らしい?

一方で、俺が以前に書いた記事で、頑張るとは我を張ることであり、苦痛や不満を伴う言葉という説明をした。

だから、俺は、頑張ることは美徳なのかな?って疑問に思っちゃうんだよね。

頑張りました!疲れました!こんな疲れた私を認めて!という意識や気持ちが、疲れた〜という口癖に含まれている。

言い方を替えると、頑張ると褒められる前提でなければ、疲れた〜という口癖は成立しないんだよね。疲れた〜とつぶやいても、誰も褒めてくれないから。

■ 頑張るから、疲れちゃう

つまり、頑張ることで褒められる前提だと、疲れちゃう。疲れちゃうから、ちょっと鬱っぽくもなる。

だから、疲れた〜が口癖のひとは、褒められたいから頑張っちゃう、かまってちゃんであり、かつ、鬱っぽくなるんだよね。

疲れた〜疲れた〜とつぶやいて認めて貰いたい!と主張するのは、そろそろ止めようよ。ホントに疲れて、鬱っぽくなっちゃうから。

止めるにはどうしたらいいかというと、前提を変えれば、止められる。苦痛や苦悩を伴って頑張るのが美徳という前提を、変えよう。

そうすれば、かまってちゃんを卒業できて、鬱っぽくなるまで疲れることはないから。

■ まとめ

頑張るとは、我を張るの語源を持ち、苦痛を伴う努力をすること。

頑張ることが立派だという前提で生きると、苦痛が美徳となりうるので、疲れる。そして、疲れたことを認めて欲しい、という発想になり、かまってちゃんになっちゃうよ、ということを紹介した。

疲れた~、と思わず言っちゃう気持ちは、わかる。

俺もいまだに、口癖で言っちゃうよ。でもさ、そろそろ、疲れた~、というのを止めよう。疲れるほど頑張るのが美徳という前提を手放そう。

だって、疲れちゃうから。

疲れた~、が口癖のあなた。疲れたくは、ないよね。

周囲に認めてもらいたいから、そういう口癖を言っちゃうことを認めて、苦痛が美徳という前提を手放すと、楽になるよ。

試してみて。

疲れない、苦痛の少ない、楽しい人生になるといいね。最後まで読んでくれて、ありがとう!

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