勝ち組・負け組という考え方は、理論的に破綻している不可解な仕組み。

こんにちは!トランペット、サックスを使ったファンキーな音、新しい時代を自分らしく楽しく生きるための歌詞、ファンキー癒し音楽のルーク野村です。

勝ち組・負け組という言葉が一時期流行った。今でも使われてるようだが、多くのひとは年収で勝ち負けを判定するようだ。

年収以外でも勝ち負けを定義できるのに。スポーツでも芸術でも。年収というお金になることだけが勝ち負けの基準になるのは不可解だ。

そもそも、人類を勝ち組と負け組の2つにばっさり切って分けるという発想が雑だよね。そんなに単純な話の整理になる程、世の中は単純ではない。

こんなふうに思考を巡らすと、勝ち組・負け組という考え方は 気にするに値しない粗雑な整理分類手法ということが分かる。

ということで、勝ち組・負け組という考え方自体を無視してもいいのだが、晴れ晴れと気分良く無視するために、勝ち組・負け組について、書いておこうと思う。

◾︎ 2つに分類するという粗雑な理屈

勝ち組・負け組を語るひとは、世の中をたった2つの勝ち組と負け組にバサっと二分できると思っているのだろうか。

星座の占いだって、12分類あるけど、結構ザックリ分けているよね。当たったり当たらなかったり。干支も12分類あるけど、ある年に生まれたひとが同じ傾向を持つ理論的裏打ちは、全くない。

例えば、俺は酉年だ。子供の頃に親戚の集まりに行くと、ほぼ、毎回のように酉年は物忘れが激しいから注意するよう言われる。

じゃあ、俺と同い年の人たちは、例外なく物忘れが激しいか?もしそうだったら、全員が夏休みの宿題を忘れるよね。そんなんじゃ、学級崩壊だ。でも、実際はそうなっていない。

ということで、人類を12分類する手法だって雑極まりないので、勝ち組・負け組の2つに分類可能と考えるのは、雑で無理がある。

◾︎ 年収が勝ち組に入る基準か?

この時点で、勝ち組・負け組という分類は理論破綻しているわけだが、もうひとつ勝ち組・負け組理論の不可思議なところを指摘しておこう。

なぜ、年収が勝ち組に入る基準なのかな。

年収が多くても不幸なひとは、いる。むしろ、高額の年収をもらっているが故に不幸になるひとは、少なからずいる。

そういうひとは、高額の年収を維持するために、やりたくないことをやる。間違っていることや信念に反したこともする。だって、そうしないと今の年収が維持できないからね。

 

こういうひとたちは、幸せなのかな。勝ち組なのかな。

 

別の言い方をすると、年収が低くても、家族に囲まれて手料理を毎日食べるのは幸せなことだと思う。高年収をもって高級な外食をしても、つまんねーひととメシ食ってたら、どうだろう。皿に盛られた写真をSNSに投稿して、いいね!は貰えるかもしれないが。

勝ち組・負け組ではなく、高年収組・低年収組、という分けかたなら、理解はできる。でも、高年収組が幸せで低年収組が不幸、というわけではない。

◾︎ まとめ

人類を勝ち組と負け組の2つに分けるという着想自体に無理ががあるので、勝ち組・負け組という議論は、組するに値しない。高年収の人でも高年収が理由で不幸なひとはいるので、年収が高額というひとつの事実をもって勝ち組とするのは不可思議だ。

ということで、勝ち組・負け組という考え方自体がおかしいので、無視しよう。

あなたは負け組だ、と誰かに言われても気にする必要はない。何の価値もない言葉遊びだから。ヒマな時に話題としてお付き合いしてあげてもいいけど、真剣に考えたり悩んだりする価値はないね。

最後まで読んでくれて、ありがとう!

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